自宅で被爆した広島逓信病院の院長が書いた「ヒロシマ日記」という本を、こないだ読み終えた。著者の "蜂谷" という姓を見てオヤと思ったが、その通り、岡山出身の人やった。
印象に残った箇所は数えきれんが、少し引用してみる。
八月十一日より
ところが、痛快なニュースが府中方面から入ってきた。あれと同じ爆弾が日本にもあったのだ。あまりひどいので今まで使わずに隠してあったのだ。敵が使ったからこちらも使う。帝国海軍特別攻撃隊は特殊爆弾をもってアメリカ本土を攻撃せり、未だ帰還せざるもの二機、と大本営の発表があったという。六発の渡洋爆撃隊が出て行ったに違いない。アメリカの西海岸は大変なことだ。やっとるぜえ、シスコやサンチェゴ、ローサンゼルス、カリホルニヤ、西海岸は処置なしだ。海軍の強襲、爆弾抱えて飛び込むのだから成功は間違いなしだ。広島以上にやられているに違いない。この話をきいて病人一同愁眉を開いた。私も溜飲が下った感じだ。病室の空気が俄かに明かるくなった。皆大喜びだ。怪我のひどい者ほど敵愾心が強い。向うがヒットを打てばこちらもヒットで返す。そんな調子で冗談が飛び、中には凱歌をあげる者さえあった。皆浮き浮きした。私は心から皇軍勇士の必勝を祈った。私ばかりではない、皆病苦を忘れてそうだったのだ。
八月十五日より被爆した人らの本音がよくわかる。他の都市空襲などを含め、直接被害を受けた人たちにこそ発生する心理なんやろう。これを単純に好戦的であるなんて、とても思えん。やられまくって我慢しまくって地獄を見せられた挙げ句の降参には、同情という言葉で片付けてええもんかどうか迷うが、そう書くほかない。
私はこっそり病院へ戻った。そして「敗戦だ」と一口いってベッドに腰をおろした。病室は俄然静まりかえった。寂として声なくしばらく沈黙が続いた。敗戦を知り一同啞然としていたのだ。間もなくすすり泣きがきこえだした。爆撃された時敢然立って我武者羅に活躍した者の面影は全くない。意気銷沈全く見る影もない態だ。ひそひそ声がきこえだした。突然誰か発狂したのではないかと思えるほど大きな声で「このまま敗けられるものか」と怒鳴った。それにつづいて矢つぎばやに「今さら敗けるとは卑怯だ」「人をだますにもほどがある」「敗けるより死んだ方がましだ」「何のために今まで辛抱したか」「これでは死んだ者が成仏できるか」いろんな表現で鬱憤が炸裂する。病院は上も下も喧々囂々全く処置なき興奮状態に陥った。日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。
八月二十二日より正直なところ不謹慎とさえ思える一節やが、医者ならではなんやろう。
爆心の決定、これは至難事中の至難事だ。原子爆弾は地上で爆発したものでない。空中で爆発したのだ。爆心地はどこか。相生橋の上といい、広島郵便局の上だという。島病院といい、商品館といい、護国神社の鳥居の上だという。どれが正しいか爆弾にきかねば正しいことはわからぬ話ではあるが、爆心は鳥居の上だという説が圧倒的に多い。しかし私には鳥居より少し南だという説が正しいように思える。この辺を爆心として被爆者の位置と障害の関係を調査することにした。白血球の減少が患者の被爆した位置にある種の関係があることがわかり、私は新発見をしたように思った。私は爆心を決め、それを根拠として被爆者の位置と白血球の関係を詳しく調べたら面白い成績がでるにきまっていると思い独り悦に入った。私は嬉しくなって眠れない。早く朝がくれば----子供のように嬉しくなって楽しい一夜を送った。
このあと、手元にあった2冊(重松日記・絶後の記録)を一気に再読した。文学的・哲学的とすら感じるこれらとは違って、ヒロシマ日記は、医者独特の視点てのもあろうけど、この御方の前向きで愉快な人柄が表れた文章やなと感じる。とにかく明るく、あまり感傷に浸ったところがない。
天皇を心から崇拝し、信じ、終戦後の進駐軍には「わりとスマートで話せるやつらじゃ」と心を許すこの著者は、「はだしのゲン」では最悪の大人として描かれてるタイプの人やが、しかし、その時代の真実やったんやなと思うほかない。
誰が悪かったなんて、絞れるもんじゃない気がするわ。
核兵器を作ったやつ使ったやつだけは許せんが。
