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二十八で亡くなった祖父

実家に、太平洋戦争で戦った人々の名簿のような記録簿のような、「戦友」という厚さ10センチほどもある重い本がある。地方自治人事調査会というところが出したものらしい。昭和50年代の発行やから、今となってはずいぶん昔の本やな。
戦友
分厚すぎるから全てに目を通したわけじゃないけど、掲載されてたのは、たしか中四国の人だけやったと思う。


祖父の欄を読んでみた。一部引用してみる。

 徴兵適令に達し、甲種合格輜重兵として善通寺第十一連隊に入隊。戦時体制下、軍律厳しい教育訓練を受け、忠節、礼儀、武勇、信義、質素を旨とする軍人精神を身につけて二年間の兵役を果し、満期除隊となる。
 昭和十八年福井県敦賀輜重隊に招集されて入隊。南方派遣軍として征途につく。台湾を経て、フィリピン諸島のルソン島に上陸。米、濠連合艦隊に包囲され、猛烈な艦砲射撃、頻繁に来襲する敵爆撃機の下、砲弾の下をくぐり銃弾に晒されて激烈な戦闘を展開、飛び来る砲弾に陣地も変容するほどの猛攻に遭い、ルソン島内ヌエレバレ方面の戦闘に於いて戦死を遂げる。享年二十八歳。昭和二十年四月二十四日終戦の年である。
知らんかった。いっぺん満期除隊になってたんやな。輜重隊ってことは食料や弾薬の補給役で、最前線に出る部隊じゃなかろうに、それでもどうにもならんかったんだな……。

戦死した場所が、墓碑にあった「サンタフェ地方」と違う。ヌエレバレという地名を検索したけど、まったくヒットせず。「ヌエバ○○○」という地名ならいくつかあるんやが。

戦死の日も、墓碑や忠霊塔に書かれた「五月二十四日」と1ヶ月も違う。祖父が戦死したのは、いったいいつ、どこなんやろう。どれが本当なんやろう。

いや、フィリピンのどこかで、まだ生きてるんかもしれん。情報が少なすぎて、そんな気持ちにもなる。祖父に会ったこともない俺ですらそう感じるんやから、石ころひとつ入ってない骨箱を受け取った祖母は。

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2008年8月19日(火)10:13に書かれたエントリーです。

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