流される流されぬも恣意
こないだ「おいしい日本語 / 金川欣二(Amazon・楽天ブックス)」という本を読んで以後、日本語の、というか言葉の曖昧さやいい加減さ、文中の言葉で言えば恣意性を刷り込まれ、なんかもー言葉尻をとらえては目くじら立てるのがアホらしゅうなってきた。これに反証するほどの学習基盤を持ち合わせてないし。流される、染まる一方じゃ。
言葉があるから誤解が生まれる、言葉によって思考が縛られる。上記の書物も言葉によって書かれてるから、筆者の主張する全てを俺が理解できてるとは限らん。むしろどっかで誤解してる確率の方が高かろう。そしてこのブログの文章を読んでる人も、同じく。
通じりゃいいんよね〜という大まかな態度もアリやし、できる限り誤解される率を低くしたいと願い言葉を選びに選ぶという態度もアリじゃ。前者の場合おおらかな筆者の気質が文章に表れてるんだろし、後者も同じく精緻な性格が伝わるだろから、読んでる側もそれに備えてバイアスを加えることができよう。……たぶん。
言葉って、ほんま刃物とおんなじなんやのう。作品を仕上げたり、誰かを傷つけたり、使い方次第じゃ。

