見慣れてないせいかな
あと十日ほどに迫ったドール ワールド フェスティバル(於 東京)に出される、嫁のミニチュアから1つ。

こうやって真円状にすると、いかにも「加工しました」風に感じるのは何故なんやろう。レンズから来た像はカメラの中で真円状に映ってて、それをフィルムなり撮像素子なりが四角形にトリミング加工してるだけやろに。
あと十日ほどに迫ったドール ワールド フェスティバル(於 東京)に出される、嫁のミニチュアから1つ。

こうやって真円状にすると、いかにも「加工しました」風に感じるのは何故なんやろう。レンズから来た像はカメラの中で真円状に映ってて、それをフィルムなり撮像素子なりが四角形にトリミング加工してるだけやろに。
いよいよ来週末になった人形のお祭り。って俺は同行せんし、あんまり関係ないんやけど。

東京かー。川崎に住んでた両親を訪ねたのが最後やな。横浜ランドマークタワーの中では初代ヴィッツが展示されてたっけ。調べるに、99年らしい。ああ、そんなんなるかねえ。
香登のホームセンターナンバ駐車場にある備前信金キャッシュコーナーで、帆掛け船に白波というマークを見て笑ってしもた。備前市にそんなイメージって全然ないんよなあ。港町の日生ならともかく。

伊部へ、お義母さんのお墓参りに行ってきた。もうすぐ3年がくる。既に両親とも失ってる友人もおるし、夫婦ともども親戚一同まで元気という恙無き人々もおる。皆それぞれの環境を持つ。今できることをやるしかない。前向きなんか諦めなんかよくわからんが、ともあれ、踏ん張らんといかん。
ドールワールドフェスティバルで、嫁が上京した。
これから数日、ひとり暮らしになる。
十数年ひとり暮らししてたけど、
そんときはワンルームマンションやったので、
いくらコンパクトとはいえ、一戸建ては広いな。
3年前の今日は土曜日やった。
まだ、もがいてます。
不甲斐なくてすみません。
タオルとかシーツとかは、等分に折る(左)より、だらーんと不等分にした(右)ほうが、重なってる部分が減って早く乾きそうなので、いつもそう干してる。って、当たり前のことか。

鳥取出身の召集兵が昭和50年に出した「フィリピン敗走記」という本を読んだ。祖父もフィリピンで戦死したから、どういう状態やったのか知りたかったんやが、予想外に衝撃的な内容で、なんとも表現し難い気分になった。
昭和20年、ルソン島北部の山中を、7名ほどの敗残兵が4月から敗戦後9月まで彷徨い続け、飢渇した彼らが食べたのは、ニナ、カニ、水牛、コウモリ、ヘビ、ヒル、牛革の靴、そして飢えやマラリアで死んだ戦友たちの人肉。
極限状態で本性をむき出しにしてる人が多いため、登場人物の名前や階級はいろいろと改変されてるんじゃないか、という気がした。実際のところは知らんが。
最終的には筆者1人だけが生き残り、つまり幾人分もの人肉によって生きながらえ、捕虜として米軍収容所で過ごし、昭和21年11月に復員したらしい。
まさに九死に一生を得て帰還したにもかかわらず、故郷の家は空襲で焼失し家族も全て亡くなっており、筆者は大山で開拓団員として農業を営むようになったとのこと。
あまりにも凄まじく、無常。
自宅前の道路が舗装し直されて、真っ黒になった。
雨粒が落ちてるかどうかわからんなった。
小雨の匂いに、さっき慌てて布団を取り込みに走った。
ぐにゅっと固くて柔らかいものを踏んだ。セミやった。
布団の真下に隠れて、まったく視界に入ってなかった。
ぶるぶると羽根を動かして、それっきり固まった。
お前、土の中に何年おったんやったっけ。
今年やっと出てきて、ジジと一声でも鳴いたか?
すまんのう、ほんまに、すまんのう。
泣けてきた。すまんのう……。
雑草、さすがにこの季節は伸びるのが早い。頭に来る。ざーっと家の周囲をむしったあと、禁じ手のような気もしたけど除草剤を撒いてみた。

夕方は Café Z にて、9月に行われるグループ展「乙女座展」の打ち合わせ。さて、さて、あー、さて……。
ルソン島より靖国神社より、
まずは善通寺の旧陸軍第11師団施設を訪れるのがええかな。
きのう嫁がコアリズムとか言うビデオを見ながら
ばたばた踊ってたんやが、
その姿は、どう見てもアホの坂田やった。
久礼坂のあたりやったっけな。今年最初の、そして年1回のアイスクリン。

やっぱり夏はこれじゃないとなあ。岡山でも普通に売ってくれりゃなあ。
以下ずらずらずらと。
実家に、太平洋戦争で戦った人々の名簿のような記録簿のような、「戦友」という厚さ10センチほどもある重い本がある。地方自治人事調査会というところが出したものらしい。昭和50年代の発行やから、今となってはずいぶん昔の本やな。

分厚すぎるから全てに目を通したわけじゃないけど、掲載されてたのは、たしか中四国の人だけやったと思う。
夏休みで再び遊びに来た姉と甥を迎えに、チボリ公園へ。

ミニ三脚を持ってった。花火まともに撮れんかった。
甥と姉を岡山駅へ送る前に、思いついて県立児童会館の公園(太陽の丘)へ行ってみた。20年前に岡山へ来て以後6年ぐらいは目の前に住んでたのに、今日初めて入った。

ついさっき、30分ほど前か、郵便局へ外出して戻ってきてたら、
家の前の細道をゆっくり走るシルバーのプリウスが見えた。
屋根には潜望鏡のように突き出た「何か」が載ってる。Google のアレかな。
あんまりいい気持ちじゃないもんやね……。
はじめの一歩じゃ。
どうなるかな。どう変わるかな。
なかなかに暑い。岡北大橋から高島駅そばの新幹線下を通って瀬戸町へ抜け、和気から国道374号線を南下して伊部へお墓参り。そのまま日生の、むかし嫁が勤めてた職場までぶらぶらドライブした。

帰りは日生からブルーラインに乗り、一本松でソフトクリームを食べ、錦海湾へ降りてぼーっとして、邑久から長船、東岡山へ。久しぶりに雑貨屋の Paché De に寄って、また新幹線下を西進して帰宅。
まいど伊部、嫁の実家へ行ってきた。
天津神社でおみくじをひいた。中吉と末吉やった。
カメラを、と手に取ったら、SD カード入れ忘れてた。アホや。
いろいろあるけど、そのうちいいことあるに違いない。
前へ前へ進むしかないし。進めれるうちは。
寒いのは苦手なんやけど、冬が恋しい。秋は早く通過してほしい。
ちょうど十年前から、秋が好きじゃなくなった。
冷蔵庫が、また異音を立て始めた。
冷凍庫あたりのファンが何かに当たってるっぽい。
さて、どないしょ。
最近の冷蔵庫はどれも大型化してて、ウチの階段を通らんのよね。
ベランダから入れないかん。これだけで2万円ぐらいかかるんやったっけ。
1991年の10月23日が、
眞子さまのお誕生日らしい。
昨日で満17歳、とのこと。
野良猫の撃退を試みたいのですが。フン対策に、忌避剤をまきましたが、撒いた翌日...
まったく同じじゃ。
きのう忌避材をまいてみたのに、今日、あざ笑うかのようにフンが。
畜生。まさに畜生め。
どないしたろか。
ひやい。国道30号を避けて蓬莱橋前を通ったら、信号待ちでマイカー発見。

洗って室内掃除してウォッシャー液を補充して、カングーが久しぶりに美しい。カングーはボンネットの開き方が好きなんよね。

自宅の大掃除……んー、中掃除もほぼ終了。晩、どんどん亭へ食べに行ったら、少しだけ行列になってた。あー、ニクの日やったか。
去年の年末から今年はじめにかけて大荒れの大荒れやった。
今年の年末の、なんとつつがないこと。
笑ってはいけない新聞社を笑いながら見れて、なんと楽しいこと。
来年、どうか無事に過ごせますように。
祈願々々。







俺「あー、これ誰やったっけ、マックス……なんとか?」
嫁「マツコ・デラックスじゃ。略しすぎ」
もう2月よ。まだ行けてないのよ。
来週こそは高松稲荷へ初詣、行けるかしらん……。

無事に広島へ着いた母が、案の定やらかしたらしい。
バスを降りるなり、姉を探し歩いてうろうろ。
どう入れ違ったんか知らんが、姉がバスへ近寄っていくと、
トランクに忘れ去られた荷物の持ち主を探す運転士さんが。
見覚えのある姉は「それ、母のです……」と。
ともあれ、そのあと無事に遭遇できた、とのこと。よかった。
これから日帰りで広島へ。
クルマでは4ヶ月ぐらい前に行ったばっかりやけど、
新幹線では、2004年秋に「ひとり股旅」を見に行ったとき以来じゃないかな。

広島の姉宅へ十日間ほど滞在してた母が、昨日夕方、岡山に来た。高速バスの到着時刻に合わせて「岡山インター停留所」へ迎えに行こうと家を出たところ、たちまち国道53号の渋滞にハマった。うっかりしてた。
携帯電話を持ってない母と連絡のとりようもなくて、渋滞の中、ただ焦るばかり。もう着いてるはず。そこへ、知らん番号から着信があった。出ると母。渋滞を伝えてホッとした。
あとで聞くと、停留所で見知らぬ人に携帯電話を借りたらしい。見知らぬ御方、ありがとう……。しかし、いまどきはそういう場所にも公衆電話を置いてないんやな。時代か。
母を一晩泊めて、今日の昼過ぎ、南風11号へ乗せた。たった3両編成で、しかも自由席ガラガラ。高知へ行く人はそんなに少ないかよ。なんか悲しくなったわ。南風、国鉄の頃は6両編成でカッコよかったのになあ。
ここ数ヶ月、味の好みが変わったり量が全く食べれんかったりと、
嫁の体調がめまぐるしく変わってってたので、外食の機会が減ってた。
回転寿司なら好きなもんを好きなだけ食べれるやろと連れてったら、
目の前を流れ続ける皿を見て酔ってたこともあった。
最近は落ち着いてきたらしい。
今晩は友達とどっかへ美味しいもんを食べにいった様子。
おらー1人で2日目のカレーです。
いや、まあ、2日目のカレーって美味しいからええんやけどね……。
昨日が入籍した日、今日が挙式した日。
忘れにくい日やから、ずっと覚えてる。
関係ないけど、
浄化槽から下水道への切替工事を、こないだ発注した。
来月の数日間は、仕事場の目の前で凄まじい音が響きそう。
まあ、嫁が産休に入る前にやっとこかと。
5時ごろからか、嘔吐々々々々々々。ようやく嘔吐が治まったかと思うと今度は下す。こらいかんと思い、夜10時ごろ病院へ連れて行った。某総合病院の産婦人科にかかってるので、そこの救急外来へ。
妊婦ってことで投薬するわけにもいかず、500cc の点滴のみで深夜0時過ぎ帰宅。その頃には腹痛だけ——というてもしんどそうやが——で、嘔吐も下痢もなし。とりあえず、今は眠ってる。明日は欠勤かな。

あー。ことうた。よいよぞうもむちや……。
当直医の「おそらく次は下しますよ」という予言通り、
夜中から朝まで、嫁はトイレへ往復しまくりやった。
今日の夕方ごろから微熱。近くにおらんと気が休まらんわい。
世の会社員たちは、こんな状況でも職場へ出勤するんよな。
強いわ。……俺が弱いだけか。







この照明器具(楽天)、うちの父親が気に入りそうやわ。ただし、白熱灯はすべて蛍光灯に取り替えるけど。
電気関係勤務ひとすじ四十年(かな?)の父は、電気代へのこだわりが異様で、照明器具のシェードは「照明効率が下がる」と言って全て取り去る。オール電化住宅も「電気代が高過ぎる」と嫌う。
昔はビデオデッキの電源コードも常に引っこ抜いてたから、タイマー録画ができんかった。さすがに最近は便利さに負けて、そういうことはないみたいやけど。
そんな姿を見て育ったせいか、俺も「電気代にだけは」うるさい。白熱灯より蛍光灯。白熱灯ならコマメに消す。蛍光灯は頻繁にオンオフすると寿命を縮めるので、無駄に点灯させない。
でも、父は電気代だけでなく全般的に財布の紐が固い。なぜかそこは似んかった……。

9年目、ガタがきてた冷蔵庫を買い替えた。
冷蔵庫といえば日立と思ってたんやけども、
嫁の希望する「使いやすい中段に野菜室」のがなくて、結局、東芝のになった。
話には聞いてたけど、ずーっと回り続けるモーター音が気になるな。
慣れるまでどれぐらいかかるんやろ。


健康のことを考えると自転車がいいんだろけど、今日はそこまでの体力なし。嫁につられてか、睡眠不足が続いてるし。でも、今日は自転車人多かったな〜。






そういや、昨日今日と「うらじゃ」のお祭りをやってたらしい。始まって十数年経つけど、いまだに知らん。踊りを見たこともないし、歌を聞いたこともない。
ともあれ、とにかく、暑い夏の日やった。
予定日まで2週間ほどになった。
いつでも病院に急行できるよう、最近は酒を飲まんようにしてるけど、
もともと晩酌の習慣があるわけでもなく、気が向いたとき、そうやなあ、
1ヶ月に数回飲むかどうか程度なので、要するに、いつもと特に変わりない。
断酒って、酒好きな人には苦行なんかもしれん。
まあ、下戸にとっては宴会が苦行なんやけども。


高知の西の果てから、今日は祖母と父が来た。カローラで来た。
我が家の人口、いま6人。明日は広島から姉と甥が来る予定。
これまでず〜っと2人暮らしやったから、
家が、部屋が、こんなに狭かったっけ……と嬉しいような困惑が。
谷岡家の「ひ孫」は、知らん顔でグーグー睡眠中。
指揮者のようなモロー反射が、おもろい。

嫁、数時間前から急に発熱。37.9度。
疲れが出ただけと思いたい。
粉ミルクの残りが少ない。
コンビニって、そんなもん売ってるんだろか。
粉ミルク、まだ残りがあった。助かった……。
しかし嫁の体温はまだ下がらず、38度。
あ〜〜〜治れ治れ下がれ。頼んます。
症状からして乳腺炎の疑いありということで嫁が婦人科へ電話したら、症状からしてインフルエンザのおそれもあるから、内科で陰性の判定をもろてからにしてくれ、とのこと。
バタバタと外出準備をし、なんか忘れてるような気がすると思いながらも、嫁をかかりつけ医に連れてった。車を停め、子供と二人、病院の駐車場で 40 分待った。いい子にしてくれてて助かった。
結果はインフルエンザ陰性。血液検査で乳腺炎の数値も低く、尿道炎の数値が高かったので、これでしょうねとのこと。疲労と睡眠不足で免疫力が落ちてるし、簡単に炎症を起こしてしまうんかもしれん。
が、昨日の発熱・発症から 24 時間経ってないような気もして、インフルエンザかもと、おらーまだよう安心せん。でも、あの検査はイヤじゃと嫁は言うから、明日の再検査は無理やろなあ。
昨日のエントリーには誤りがいくつかあった。慌ててて……というのは言い訳にならんかな。素人やから許してもらえるかな。まあ、報道の仕事に向いてないことはわかった。
正しく書き直しときます。
昨日かかりつけ医で嫁が診てもらったのは、インフルエンザの判定・血液&尿検査。で、インフルエンザは陰性、血液のはすぐに結果がわからず(今朝電話したら、少し炎症反応が出てたらしい)、尿検査では少し炎症反応あり。
受診時には乳房の張りや痛みもなかったらしく、ということで、医師は乳腺炎より尿道炎の疑いが濃いかな……と診断したらしい。
が。帰って数時間したら左の乳房が明らかに、不自然に大きくなってきてた。カチカチに固い部分がある。もちろん痛いらしい。両脇の体温を計ったら、左 38.4 度で右 37.9 度。たしかに左がひどい。
こうなると、インフルエンザ陰性が確かなら、乳腺炎の疑いがめちゃくちゃ濃い。経験者である姉のメール指示を受けながら、冷やしたり、赤ん坊にどんどん吸ってもらったりで夜中まで数時間。
結局、今朝4時ぐらいに授乳したときには、張り・腫れもひき体温も平熱に戻り、どうやら治った……気がする、とのこと。嫁も赤ん坊も、よう頑張ったわ。おつかれさん。
方言に興味のない人は、まったく面白くないエントリーやと思う。
生まれ育った高知県には、大きく分けて2つの方言がある。1つはよく知られた土佐弁で、京阪式アクセント、いわゆる関西弁ぽい感じで話される。
もう1つは県西部「幡多地方」で使われる幡多弁で、語彙こそ土佐弁と似通ってるけど、東京式アクセントなので、たとえば「今から帰る」の発音が、それぞれの方言で全く違う。
幡多地方生まれで幡多弁を喋る両親を持ち、小2のころ核家族で高知市へ引っ越して育った俺は、家では幡多弁、学校など家の外では土佐弁でと、無意識に使い分けてた。
家と学校、もともとは環境で方言を切り替えてたけど、そのうち心理的な内と外というスイッチで切り替わるようになってった。平成元年に岡山で一人暮らしを始めると、岡山弁が幡多弁と同じ東京式アクセントであることを知った。
いくら幡多弁と似てても、身内じゃない人たちと岡山弁を話す気持ちにはならず、土佐弁を貫く意志もなく、周りに関西圏出身者が多かったせいもあって、土佐弁の語尾だけ関西言葉に替えたような、変な言葉になった。高知東生の喋り言葉に近いと思う。江本孟紀はそうでもないかな。

ついでに。デオデオ東川原店の屋上駐車場と店内をつなぐエスカレータの速度は異様に遅い。すたすた歩いてた速度で乗るとコケそうになるので、早足の人は要注意。
茶黒赤金、抵抗の1キロオームやったっけ。突然思い出した。
あと、トランジスタの 2SC1815 や 2SC945 とか。初歩のラジオとか。
1アマ(第一級アマチュア無線技士)免許を持ってる父の影響で、
中学の頃はアマチュア無線をやってた。
まあ、取れた免許は小学生でも合格する電話級——今の四級——やけど。
大学時代には、父を真似て電験三種を! と思ったこともあったな。
夢物語やった。数学ぜんぜんダメやし物理系まったくわからんし。
さて、この俺は、我が子が「真似たい!」と思う何かを持っとるんだろか。
尊敬される何かを、持っておるんだろか。
広島に住む甥っ子がインフルエンザに罹ったらしい。
新型かどうか知らんけど、ともかく早く治りますように。
びくびくしてる自分が書いても説得力に欠けるけど、
季節性インフルエンザに比べて新型は騒がれすぎに思う。
製薬会社や各国が絡んだ陰謀論とやらも、つい信じたくなってしまうわ。

やっと12月が来た。
自分の生まれ月なだけに、大好きじゃ。
月末=年末には三十代最後の歳になる。
さんじゅうく、か。おっとろしいにゃ。
最近おつかいに出ることが多い。
こないだ、「豚バラ肉のブロック」と頼まれて、ちょっと混乱した。
生まれてこの方ずっと、ばらばらにバラしたのがバラ肉やと思ってた。

昨日は姉と甥が広島へ日帰りし、
今日は祖母と父母が中村へ帰っていった。
普段と違う状況に緊張してたんか興奮してたんか、
昨日今日、息子は機嫌のいい時間が多かった。
皆が帰ってしまった夕方以降、反動が来たんかな、
いつもより長時間、すさまじい勢いで泣きわめき続けた。
龍馬伝見れんかった。ま、録画したし明日にゃ見れるろうか。



湯船に栓するの忘れて給湯。
フタをあけたときの失望感と言うたらない。
あー。
毎年恒例、ガキの使いで青色申告の書類を出しに行ってきた。書類は簿記資格を持ってる嫁が作成してくれてるので、中身に関しては一切まったくサッパリ理解できてない。
経済学部卒やろがと批難されるたび、「金融とか経営論とか経済史とか、内容はさまざまですから」と逃げることにしてある。まあ、専攻してた多国籍企業論も、理解できてたとは言えんが。
簿記と統計学は何度も落とした。俺の卒業を危うくした最強の敵やった。数字・数学は、ホンマに鬼門じゃ。経済学部は文系に分類したらいかんと思うのよ。ついでに心理学なども。